今年何度目かの大阪に来ました。大阪へは親戚の看病のために 月に1度は来ますが、私の療養も兼ねています。最近は ライティング業務を幸運なことに いただけて仕事をしています。また クレーター東大 塾の幹事会のために これも 月に一度ほどオンラインでミーティングを行っています。さらには 大阪大学の医学研究家の研究に協力することになり、私の専門は 英語教育ではなく 医学 だったかなと思う 毎日です。
さて 昨日、X の方に下のような書き込みをしました。
日本(政府あるいは一部の国民)の中国や韓国を一段見下したような態度を危険視している。歴史的に見て、日中韓で日本が優位にあったのはほんの50数年程度。真の緊張緩和を求めるなら、アメリカなどに逆に後押ししてもらいながら、日本の戦時中の残虐な行為について再度繰り返さない約束をするためにも、日中韓のコンテクストによる対話が必要ではないか?
私は幼少期にはだしのゲンを読み、それが いい意味で トラウマになっています。戦争って怖いものなんだ、しぬのは恐ろしいものだな、などと 幼少期から考えてきました。それと同じぐらい 世界平和、特にアジアの 隣人の国の人たちと仲良くしなければならないという 問題意識を持つに至りました。
日本は80年代90年代と、マハティール 元首相が 極東の日本を見習って と言っている時代に欧米にばかり重点を置いていた気がします。今こそ 欧米との関係は持ちながら、アジアの国々と協調 志向を高めるべきではないでしょうか? 宗教や生活様式 など、同じような大きな文化 背景を共有しているアジアの方々と、嬉しい時には 一緒に嬉しくなり、悲しい時には 一緒に悲しくなる。水臭いかもしれませんが そのような良質な人間関係を築くことはできないか? そう考えているの私1人だけではないはずです。過去に日本とアジアの方々が悲しい記憶があったのは私も 存じております。だからこそ 同じ失敗を繰り返さないように、お互いを監視し合うのではなく、良好な人間関係のもとその距離感により、お互いのいい意味での抑止力が働くのではないでしょうか?
それを 武器や原子力に頼るのは時代錯誤も甚だしいと思います。どうも 最近 メディアで日本以外の国も含めて、戦闘機や 武器の映像が頻繁に出てくることを恐れています。それに対する一部のネットの反応も攻撃的なものが多く、これでは 何のための戦後80年 間だったのか悲しくなってきます。日本を世界を再び 戦前 戦時のような 有事にしないためには、日本国民も一人一人がお互いを監視し合うのではなく、いい意味での距離感を取り、コミュニケーションを継続していくしかないと思います。6月6日に色々なことが重なり、終幕を決めていた「風と雪」シリーズの新作の原稿を Amazon で販売し始めました。結局人間一人一人ができること というのは限られており、私ならばこれ、あの人ならばあれ、またあの人ならばあれ、というような自分のcallingを大事にする風潮がもっとできればいいと思います。
そうした中で 貧困問題 や フェミニズムの問題、LGBTQなどに関する問題意識を持つ 市民がもっと増えれば 日本の世の中もさらに明るくなるのではないでしょうか? 端的に言えば日本が良くなればアジアはもっと良くなります。アジアが良くなれば世界はもっと良くなります。世界平和というのも 平和学をかじったばかりで 私は素人的な意見しか言えませんが、市民一人一人のコミュニケーションをしっかりと機能させることからしか 果たし得ないのではないでしょうか?