2024年8月25日、田尻悟郎先生のオンラインセミナーに参加しました。ここで内容の詳しい紹介は避けますが、あまりに中身が濃く、私の内面も自分なりに変化したのでここに感想を簡単に残しておきます。
一言で申し上げますと、田尻悟郎先生は英語と共に生きているそしてその経験を生徒たちに伝えようとしているのではないかと感じました。というのも、田尻先生の授業は一見するとスキル重視な側面が深いと思われるのですが、これは表面しか見てない感想です。先生は文化、特に慣習や制度的な文化の違いもきちんと教え、教養面でも生徒たちにしっかりと指導を行ないます。というよりスキルと教養を軸にした二項対立がばかばかしいと思うほど、先生の授業は深みがありました。
私たちはこのような優れた実践者を目の前にした際に、テクニックや葉っぱの部分とでも言える小手先のことももちろん学べるでしょう。しかしそれ以上にこの先生は何を大切にしているのか、生徒にどのように育ってほしいのか、そのようなことをそれぞれが自分なりに想像力を働かせて、その先生から掴み取るのが大事ではないかと思いに至りました。それが、ビジョンというより教育理念になり、普段の授業指導のハウツーにつながるのではないかと考えました。この教育理念とハウツーを結ぶのがコミュニケーションと私は思います。つまりあまりに相手が大きすぎて自分でも吸収しきれないほど感動してしまった場合、その先生がどのようなコミュニケーションを生徒と一緒に行っているか観察することが大事ではないかと思いに至りました。そうすることによりハウツーからコミュニケーションの様式へと考えがおよび、何を大切にしているかという根っこの部分まで考えが深まっていくのではないかそう感じました。こういう観察者としての目は、人類学特に文化人類学から多く学べるのではないかと思っています。
はっきり言うと、評価というのは子供をバカにするわけではありませんが子供でもできる行為であり、評価の前段階であるいや評価以上に重要である指導の部分ができないと教師、あるいは大人として立ち振る舞いはできないのではないかと私は反省しています。評価を好きな人は多いようですが、まず自分自身が評価に立たされたときにどのように言動を取るか考えてみてほしいものだと思っています。それよりも重要な指導について深く深く心がけたいものです。
私は現在教育現場には出ていませんが、だからこそ教育について無責任にも責任のあることでも発言ができる立場にあると思っています。もちろん私が目指すのは後者の責任のある発言です、しかし自由な発言ができる部分が大きいのもこの私の立場でしょう。これからもこのような優れた先生に出会いながら、自分自身の内面を磨いていきたいと思います。