よく外国語(特に英語)の知覚と認識において、以下の単純化されたモデルが提示されます。
音声→文字→意味
この提示方法はこれで有益だとは思います。しかし、厳密に観察すればするほど複雑な世界をあまりに単純化しているようにも感じます。
今回はこのモデルをベースにしながらも、あえてより複雑なモデルを形成することを目的として、英語の知覚と認識について駄文を綴りたいと思います。
まず、音声→文字→意味ですが、このような直線的な図式そのものを問い直したほうが良いのではないか、そう考えます。
なので
意味
音声 文字
のような三角形の相互作用的なモデルに変更したく思います。
また、「音声」と「意味」の統合ですが、ノイズの存在を忘れてはいけません。つまり、単に「音」から「有意味な音を分節して感じ取る」という行為が、英語の知覚認識ではなされているのではないでしょうか? 英語を聞こうとして、初学者ならまだしも、ある程度慣れてきたら、意味理解をしようとせずに英語を聞くのは稀でしょう。特に能動的な聴覚ならその傾向は強いと思います。
つまり、聴覚器官に入ってきた音から「英語の文法における意味処理が可能な文字」に音を分解していると考えられるのです。その過程において、意味理解はなされます。つまり、音声と文字をあえて分けるのではなく、「英語らしい形」のような、少し比ゆ的な表現ではありますが、それらをまずは統合した形で理解しておいたほうがよいと、ここでは考えておきます。
そして、意味の理解はさらに進行していき、「constative/performative」の差異を識別することを必要とするとしておきます。これはspeech acts(言語行為)理論をもちろん土台に考えていますが、英語らしい形から、どのような「effects(効果)」を得るのかが大事であることに焦点を当てているためです。
そこは神経科学をもっと勉強しなければならないことは承知ですが、現段階の理解で、言語行為理論をベースにした意味理解が有益であると主張しておきます。
では以上の記述から英語の知覚と認識をまとめると・・・
世界
音 ←→ 言語行為による効果 ←→ 英語らしい「形」
↓
知覚認識の接続
と乱暴にまとめておきます。
言語行為の効果を中心に置いたのは、知覚認識の接続を継続していくことが、また事前的な英語の知覚認識の主たる目的であると考えるためです。また、先述した通り、意味理解をある程度は前提として、これまで「音」や「文字」とされてきた「英語らしい形」に音を切り取る行為はなされると、ここでは考えているためです。
以上になります。結局、直読直解を目標とするのであれば、英語の「文字」を知覚し認識していく行為も、英語を頭のなかで「音」に変換させる必要があるでしょう。そこから、音色をもとに効果が生まれていくというのが、いわゆる「読解」における今回のモデルの適用です。
わかりにくくて申し訳ありません。単純なモデルをあえて(今回は少しだけでしたが)複雑な形に置き換えて考えていくのは、思考のトレーニングにもなると学びました。これからも謙虚に世界(注1)を観察していきたいと思います。
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注1:これは私個人の趣向による表現で、私はいわゆる「自然」概念を「世界」と表現します。