和泉敏之の質的研究会

和泉敏之によるオンライン質的研究会です!

ノーム・チョムスキー著、川本茂雄訳(1976)『デカルト派言語学』みすず書房

今日のテキストとして用いたのは1976年刊行の『デカルト言語学』です。デカルトと言えば、近代の父ともいえる存在で、心身二元論などが有名です。チョムスキーがその流れにあることを知った(無知の)私はそれだけで驚きでしたが、この<心/精神>の二分法は現代では必ずしも有益ではないと考えています(ある武術家の方が「からだは1つ」と言っていたのが印象的です)。しかし、それだけで、チョムスキー言語学の魅力が衰えることはありません。今回私が感動した事柄を羅列していきます。主に「言語使用の創造的面」から取り上げていきます。

 

言語使用の創造的面

<人間の言語と動物のそれを分けるもの>

 

本書では、「動物は声を持たない」という趣旨のことが書かれてありました。「声は感情を表現する」、「人間は感情動物である」という命題は有名でしょうが、動物たちは自身らの感情を他のそれに伝えようとすることを伝える機能が備わっていないと感じました。

 

<同じ「言語」は存在しない>

 

本書では、話し手は聴いたことのある形式の類推の形式を発するとされています。確かに、私たちが話したり、書いたりする言語は、どこかで自身のものになった言語で、自身のオリジナルな言語とは言い切れない側面があります。これをチョムスキーは「類推」という言い方で克服しています。似たものを抽象化し、新しい(ような)ものを作ることでしょうが、人間は言語を抽象化し、まるで自分たちの言語として使用(思考する)していると言えますでしょうか? 

 

生成文法の可能性>

 

しかし、人間はまるで聞いたことのないような言語を使用すること(あるいは思考すること)もできるでしょう。「たまというバンドがいたが、あの『さよなら人類』はエキセントリックとまでは言えないが、少しふざけているものの、中身はシリアスだね」という文は私が今作りましたが(焦)、このような文を皆さんはかつて聞いたことはあるでしょうか? 本書では、言語は「パターン化された組織」以上のものであり、言語行為の土台に横たわる無限のシステムがある、と語っています。これこそが「生成文法」の基本なのだと思わされます。言語は創造的な機能を持っており、次々と新しいものを生み出していけるのは、生後のデータのみならず、生得的な「なにか」があるに違いないということです。

 

昨今、「クリエイティブ」や「アウトプット」、はたまた大それた意味での「表現する」という耳障りのよさそうなことばが流行していますが、言語の使用あるいは思考自体が「創造」であり、優れた言語使用者は言語のみで、その文法を崩すことなく、他人にうまく伝えていくことができるのでしょう。ここにきて、私をはじめとした現代人は「言語」の特性についてもっと思慮を深めるべきなのかもしれません。

 

偉そうなことを言いましたが、私自身への内省のことばとさせていただきます。私は文章を一般的な人々よりは多く書く人間として、どうしても自分の文体が好きになれません。ここはそれこそ「インプット」を深める必要があるのかもしれませんが、もっと世界のことを知っていくことも重要かと思われます。

 

今回はチョムスキー言語学のエッセンスについて少しだけまとめました。これからも無知な私は背伸びをできるだけせず、謙虚に学んでいきたいと思います。